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ブログ - Words from Flying Books

Saul Bass 『Henri’s walk to Paris』入荷!

Saul Bassの『Henri’s walk to Paris』が入荷しました。
今回はとても珍しいカバー付き、しかも真鍋博旧蔵品です。

もともとマニアの間では幻の絵本と言われていて、最近、復刻版が出版されたために特に知名度が上がりましたが、復刻版の初刷も、もう入手が難しくなってきたようです。
ここではせっかくなので、初版と復刻版とを見比べてみましょう。

まず、版型はほぼ同じに見えますが、復刻版のほうが若干大きめで、紙が厚いため厚みも重みもあります。
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(左が初版、右が復刻版)
 表紙の足のイラストの下、著者名・出版社の書いてある赤い文字は、初版のほうは、文字が地面のようになっており、目線が右へ向かうデザインとなっていますが、復刻版のほうは、文字は中央揃になっていて、目線の誘導が止まってしまっています。(奥付ページも同じく) 
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次のページは、一面に文字が敷き詰められていて、初版は文字がきれいにおさまっているのですが、復刻版は上下がトリミングされて文字が切れてしまっています。
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(左が初版、右が復刻版)

そして、絵本にとっては致命的と言っていいほど色味が全然違います。
初版では、隅々まで行き届いたデザインセンスとヴィヴィッドな色に目を奪われて、すべてのページを額に入れて飾りたいと思ったほどでした。
復刻版のほうはちょっと濃い目なのかな、くらいに思って見ていきましたが、全体的に色彩のトーンが暗く、色調の差が少ないのです。

(左が初版、右が復刻版)
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たとえば、初版では森の中の家の白さが木々のコントラストで浮き上がって見えるところが、復刻版では全体的にうすぼんやりとして見えたり、目がチカチカするほど鮮やかな赤とピンクのバスが、そこまで刺激的ではなかったり、木々と道路の絵ではグリーンの色あいが全然違っていたり、青の3色のトーンは小鳥の黄色と周りに見える表紙の黄色と呼応しているのが、復刻版は3色の差があまりなく、小鳥の色と表紙の色もちぐはぐだったりして効果的ではありません。画像ではわかりづらいかと思いますが、実際に並べてみると全然違います。

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復刻にあたって、元版になるべく近づけるよう印刷するのは、ここを生かせば、どこかを妥協しなければならないといった大変な作業だったにちがいありません。初版のクオリティーを復刻版に求めるのは限界があるでしょう。
この絵本は、パリを目指してHenri君がワクワクしながら歩いていく冒険のお話なのですが、復刻版を見てからあらためて初版を見ると、絵とお話の相乗効果が本当に素晴しいのです。

初版には、最初に生み出すときの、作家・デザイナー・版元の三者がひとつになった魂のようなものが込められていたのではないかと感じます。

幻の絵本で入手困難だったものが、安価で多くの人に見てもらえるのは、復刻版ならではと言えますが、ちょっとした違いで全体の印象がこんなに変わってしまうことがわかりました。なかなか出合えないですが、Saul Bassの、緻密でありながらのびのびとした世界観は、ぜひとも貴重なオリジナル版で味わっていただきたいと思います。

『Henri’s walk to Paris』
Saul Bass(デザイン) Leonore Klein(文)
初版 カバー裏表紙少切れ 真鍋博旧蔵シール
Young Scott Books 1962年
¥95,000

2012 年 4 月 13 日 | comment
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幸福感の爆発、あるいは炸裂

ウィリアム・S・バロウズ卿が、思潮社の『バロウズブック』でこう言っている。「もし、書き方さえわっかたら、読んだら相手が死んでしまうようなものを書きたい。音楽でも、なんでも同じだー知識か、技術が充分ならできるはずだ」「革命は、他人を無視することから始まる」そう、人間でも象でも相手の息の根を一撃で止めるぐらいの力が無いと駄目だ。他人は無視しろ、恐怖は自分自身で作り出したモノだ。

21世紀に入り写真界でその可能性を感じさせたのは、ライアン・マッギンレイただ一人だけだ。ティーネージャーの裸の写真を一枚見ただけで、その事実が分った。みんなベッヒャースクールの亜流か、気の利いた都市や自然のランドスケープでお茶を濁していたが、正直退屈だった。特に日本の写真界は相も変わらず似たような作品の再生産にしか感じられず、爆発力は無かった。バロウズやジュネ、ゴダールやジョン・ウォーターズらの作品のように、批評の暇すら与えない炸裂した作品が見たい。もうホリエモンや、ひろゆきにカメラを渡して、資金力にまかせて撮ってもらったほうが、遥かにエキサイティングかもしれない。作者なんて誰でもいいんだ、ウォーホルのFactoryでは誰が何の持ち場なんて関係無かったはずだ、ウォーホルがそこに居ればいいんだから、ハッキリ言ってFactoryはホントスゴイね!!

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世紀末から新世紀をまたいで、写真界は間違いなくウォルフガング・ティルマンズの時代だった。しかし、何処からか新しいスターは突然やってくる。それは一つの技術を機械的にマスターした画家志望や小説家志望、写真家志望etc…の人物からは難しい。バロウズはジャンキーで小説家、中原昌也はミュージシャンで小説家、エディ・スリマンはファッションデザイナーで写真家、港千尋は評論家で写真家、そしてライアン・マッギンレイはスケーターで写真家だ。

ライアン・マッギンレイは、1977年ニュージャージー州で8人兄弟の末っ子に生まれた。生まれたのが一番下ということもあって、両親も子供の写真を撮ることに飽きたらしく、ライアンの子供の頃の写真は5枚くらいしかないらしい。10代は「スケート・パンク」でジャンキーだったり、全身ラルフローレンしか着ない「ポロ・レイヴァー」になったりで素晴らしい経歴だ。なんと!!その頃の輝かしい栄光の時間も、写真はほとんど皆無。そしてニューヨークにあるパーソンズ美術大学に入り写真に目覚める。ざっとこんな感じだ。ライアンは、まるで人が常に自分に無い物を渇望するように、過去の自分の写真が無い事実をカバーするがごとく写真を撮りだす。ライアンの欲望は強烈で一気に写真界のスターダムに躍り出た。そうなんだ、人は過去の失われてしまう時を、常にねつ造の危機をともなう記憶(自分または、他人に)か、写真や映像というわずかな媒体のメモリーでしか捕らえることが今のところ出来ない。それゆえに負けるのが分っていても世界の断片を記録し続けるのだ。(なんという、いじらしい行為!!)

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ライアンの写真は、若い男女が都会でいたずらしたり、裸で自然のまっただ中に放り出されて無邪気な自分の欲望にしたがって動き回る記録である。モデルになっている男女のイキイキした表情やユニークなポーズは幸福感の爆発を誘う。飛んだり跳ねたり、花火で遊んだり、みんなで裸で木に登ったり、ヤンチャのし放題だ。みんな広告のモデルみたいに美しい体をしている理由ではないが、個性的でチャーミングだ。ライアンの写真では、モデルのウィークポイント(コンプレックス)はスティグマへと一気にひっくり返る。当然だ、染みや、ホクロ、あるいは傷は、自分が自分であるための、表面的な他人とは違う徴だ。 気にするな!!ライアンの「Moonmilk」シリーズでは、洞窟をカラフルな光でライトアップし、サイケデリックで神秘的な写真を作り上げ、ライアンの卓越したセンスを本物だと僕に確信させた。続いてモノクロで撮られたポートレートでは、モデルと剥製を交えて、ファッショナブルでユーモラスな写真を発表し、とどまることを知らない。ライアン・マッギンレイのこれからの動向はチェックし続けなければならないが、才能が枯れる前に。いや、保守的になる前にぜひ一本映画を撮ってほしい。

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ライアン・マッギンレイのように、そのシーンを一撃で変えてしまう存在は稀だ。どんな世界でもそのような人物は必要だ。サッカー選手でも、タコヤキ屋でも、占い師でもそうだ。あのジョン・ウォーターズの「ピンク・フラミンゴ」を観てアンディ・ウォーホルはこう言った。「僕が映画ですることは、もう無くなった」と。ウォーターズいわく「セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ」公開のため来日した時に、映画監督志望の若い青年にこう助言している。「上にいる奴らを、イラつかせる映画を作れ。そうすれば成功する。」そうだ、上に居座ってあぐらをかいている奴らの足を掬ってやれ!!

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『Everybody Knows This is Nowhere』
Ryan Mcginley ライアン・マッギンレー
Dashwood Books 2010
¥18,000

林 裕司

2012 年 4 月 6 日 | comment
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The Photo/Books Hub Tokyo 2012はじまりました

今週末は表参道ヒルズで催されているThe Photo/Books Hub Tokyo 2012に出展してます。
お時間ある方は是非遊びにいらしてください!
Flying Booksブースでは、訳ありS級タイトルのスペシャルセール!北島敬三、荒木経惟、鈴木清、植田正治、東松照明、細江英公、中平卓馬などの5〜10万円クラスを1〜数万円にてご提供中。早い者勝ちです!
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THE PHOTO / BOOKS HUB TOKYO 2012
会期:
2012年3月31日(土) 11:00 – 21:00
2012年4月 1日(日)  11:00 – 20:00
入場料:有料 ( ただし自由料金, 300円〜 )
会場:表参道ヒルズ 本館地下3F スペース オー

2012 年 3 月 31 日 | comment
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3.25 長沢哲夫&内田ボブ ポエトリー・リーディング・イベント決定!

毎年恒例、九州諏訪之瀬島の詩人・ナーガこと長沢哲夫さんと、
マーシャル諸島から戻ったばかりのシンガー内田ボブさんのリーディング・ツアー。
一年に一度、東京でナーガさんの生のリーディングが聴けるチャンスです。

去年の震災よりずっと以前に書かれた詩「原発の火はいらない」をはじめ、
60年代より一貫して反原発のメッセージを発信し続けているお二人。
今だからこそより真摯に耳を傾けてみたいと思います。

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―――――――――――――――――――
3月25日(日)
「Beat Goes On vol.13〜長沢哲夫ポエトリー・リーディング&内田ボブLive 」
【ポエトリー・リーディング、ライブ】
出演:長沢哲夫、内田ボブ
OPEN:17:00 start:17:30
会場:Flying Books (渋谷区道玄坂1-6-3 渋谷古書センター2F)
料金:¥1,500(1Drink付)
予約はメール、電話(03-3461-1254)、及び店頭にて(営業時間12〜20時 日曜定休)
メール:info[a]flying-books.com ※[a]を@に換えて送信してください。

2012 年 3 月 5 日 | comment
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JACK SPADE FLEA MARKET

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2012年2月26日〜3月7日の間、表参道駅構内(Echika)にて、
NY発のブランド・JACK SPADEが期間限定ショップをオープンしています。
Flying Booksでは、JACK SPADEのためにセレクトした
本や雑誌などを出しています。

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通勤・通学がちょっと素敵になる、知的でユニークなJACK SPADEの世界。
ぜひこの機会にお立ち寄りください。

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◆JACK SPADE FLEA MARKET
期間:2012年2月26日〜3月7日
場所:表参道駅構内 EVENT SPACE
時間:11:00-21:00

http://www.jackspade.jp/

http://www.tokyometro.jp/echika/omotesando/

2012 年 2 月 29 日 | comment
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大人のためのレオ=レオニ

レオ=レオニは、1910年アムステルダム生まれ、イタリアで過ごした後、1939年にアメリカへ亡命。広告の仕事に携わり、1949年にアメリカのビジネス誌『Fortune』のアート・ディレクターとなり、1959年に『Little Blue and Little Yellow』で絵本作家としてデビュー。1962年再びイタリアに戻り、多くの絵本作品を残しました。

初めて『スイミー』を知ったのは小学校の教科書で、小さい魚が団結して大きい魚を追い払うというお話のほうが印象に残っていましたが、大人になってから絵本で見て、その絵本としての良さを実感しました。知っていると思っていたはずのお話が、絵本の大きな画面で見ると、色彩の豊かさ、海の世界の表現に目を奪われ、新しいものとして目に入ってきました。

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クラゲの色の美しさ、海藻の模様、よくよく見れば、“もよもよした”海の感じや魚の肌感はデカルコマニーで、小魚の大群はスタンプ、海藻はスタンプかレースペーパーのようなものを使って繰り返していると思われます。海の景色を詳細に描かなくても、海に潜って探検しているような気分になるのは、この交り合う色彩のせいでしょうか。

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『TICO and the golden wings』は、金色の羽を持った鳥のお話で、レオニの作品の中ではあまり知られていない作品かもしれせん。2008年に日本版が出ていますが、表紙のデザインがだいぶ変更されていて、個人的にはこちらのオリジナルのストイックなデザインのほうが好きです。

この作品は、レオニがインドに旅行したことから、インドの伝統美術にインスパイアされて創られたようです。樹や葉の幾何学模様の繰り返しが多用されており、羽の金色がとてもきれいに印刷された、デザインの美しい絵本です。

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「Swimmy」も「TICO」も、まわりのみんなとは違っている、というところからお話が始まります。他の人(魚・鳥)と比べて良いとか悪いとか、人とは違っているからみんなと仲間になれなくてさみしいという気持ちは、誰しも通る道でしょう。

レオニの絵本は、みんなそれぞれ個性が違っていて、ともすればそれはいじめの対象になりがちですが、違いを違いのまま受け入れるやさしさがあります。

『平行植物』という架空の植物の世界を実際に存在するかのようにまじめに解説する不思議な本も出すほどですから、レオニ自身、相当変わった人だったのではないでしょうか。

これらの絵本はイラストレーターの真鍋博氏が旧蔵していたもので、状態もとても良いものです。いい絵本をあらためてじっくりと眺める喜び、しかも真鍋博氏が持っていたと思うと、1960年代の空気も一緒にまとっているようで、さらに感慨深いのです。
(中央にあるシルバーのシールが真鍋博氏の蔵書のしるしです)
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『Swimmy』 
Leo Lioni Pantheon 1963  SOLD
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『TICO and the golden wings』
Leo Lioni Pantheon 1964  SOLD

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『Little Blue and Little Yellow』Leo Lioni  
カバー背少テープ補修 McDowell 1959  SOLD

 

Uehara

2012 年 2 月 16 日 | 1 comment
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時間の終わり 写真の終わり

2011年最後のブログは、この人で締めくくりたい。自称、ポストモダンを見てきたモダニスト、写真界の天皇、その名はHIROSHI SUGIMOTOである。杉本博司については、プライベートなことから、技術的なことまで知りたいことが沢山ある。ブルータスの特集でかなり満足度の高い内容で全貌を知ることが出来るが、僕が知りたいのは、もっと細かいことだ。何処の店で髪を切っているとか、スタバには行くのかとか、よく買う服のブランドはどこなのかとか、ホリエモン事件をどう思うかとか、ニコ動派それともUstream派とか、好きなコメディアンは誰なのかとか、AKB48は知っているのかとか、コンビニで必ず買うものとか、ヴィスコンティ派それともフェリー二派とか、カップ麺派それとも袋麺派とか、靴下は履くのか履かないとか???etc.。

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無論、こんなことを知っても杉本の作品を理解するのには、何の役にも立たない。しかし、彼の作品の完璧さ故に下らないことが知りたいのだ。2005年に森美術館で開催された「時間の終わり」展の中のイヴェントで杉本博司と都築響一とのトークセッションが行われ、僕はナマ杉本博司を初めて見に行った。その自信満々の成功のオーラ出しまくりの言動は、まさにアブラハム・マズロー博士の提唱する、自己実現を成功させた人間そのものだった。

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杉本の作品、海景、劇場、ジオラマ、建築、全てに共通するのは、出来事の不在である。いわゆる写真の特徴である、「イマ、ココ」が無い。視線を返さないアブソープションな、視線を中心にする物の無いオールオーヴァーな画面を前に、人は作品に包まれたような感覚になり、身体全体で作品を感じる。杉本の作品は、その大きさから、プリントの美しさまで、オリジナルで体感してほしい数少ない作家の一人である。写真集やホームページでザーット眺めるだけでこと足りる写真家が大半の中、貴重である。(本来写真は、こうあるべきなのかもしれない)森美術館での「時間の終わり」展では、そのあまりにも完璧な構成には、唸らされた。あるキュレーターどうしの対話で、「あの展示は、パーフェクトが過剰で若手の写真家のやる気を無くさせる」と言わせた程だ。しかし、モノクロ、銀塩写真の美しい写真の最後は、杉本に共に美しく死んでもらって、若い写真家たちは軽やかにポップにメチャクチャすればよろしい。

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杉本と都築のトークセッションで非常に印象に残っていることがある。耳の不自由な人が杉本に「あなたの写真をみると音が聴こえる」という感想を述べていて何か心に引っ掛かった。音の無い人が聴こえる音、心で聴こえる音。そう、美術作品とは物を通じて心に響かなくてはいけない。あの、アート界の超人ハルク、ジェフ・クーンズも「アートは、見る者の中で起こらなければならない」と、インタビューに答えているし、僕も同感である。

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フィルムや、印画紙が、販売店の隅っこに追いやられ、次々と雑誌が廃刊、休刊に追い込まれる中、自称最後の写真家の今後の活動には、興味をそそられる。ゴダールや、クリスチャン・マークレーのように過去の映画のアーカイブから作品を作るように、杉本にこれまでの写真家のネガから杉本独自の解釈で、新たにプリントした作品を作ってほしいし、彼のネガだけの展示とかも見てみたい。個人的に一番してほしいことは、オーストリアにある20世紀哲学界のスーパースター、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが、姉のマルガレーテのために作ったストンボロー邸(現在はブルガリア文化研究所)を、杉本博司にぜひ撮ってもらいたい。

2011年もあと残りわずか、3.11の震災もあり、いっこうにデフレ状態が続くこの世の中、たまには杉本博司や細江英公の重厚な写真で現実を忘れて、濃密な日を過ごしていただきたい。オリジナルを家に飾れるのは、リッチな人に限られるが、ネットや写真集なら手頃に見れる。写真や絵画はそもそも、それ自体メディア(情報の記録、伝達、保管などに用いられる装置)なのだから。

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TIME EXPOSED
杉本博司
HC カバー Edition Hansjorg Mayer 1995
¥38,000

林 裕司

2011 年 12 月 17 日 | comment
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砂に咲く花

小学生の頃は、授業中に友達に手紙を回すのが楽しみだった。手紙といっても、他愛ないことを小さなメモ帳に書き、小さく折って、回してもらうのだ。何を書いていたかはもう忘れたが、先生にあだ名をつけてからかったり、好きな人と目が合ったとか、そんなようなこと。Twitterやメールがなかった頃は、とにかく、ノートの端やらメモ帳やら、手紙、交換日記など、「書くこと」は好き嫌い・上手下手にかかわらずいつも身近なものだった。

誰かに宛てなくても、自分ひとり書くことで、頭の中を整理したり、気持ちを落ち着けることができる。

言葉に表すと、今自分が立っているところがわかる。
これから何をすべきかがはっきりしてくる。

それに、何かを見て感動したり、驚いたり、わからないことがあったりしたとき、人に伝えたくなる。

もし、自分にとって言葉が身近なものでなかったら…と想像してみる。
日常生活のなかで言葉はあふれているかもしれないが、それらの言葉は自分自身と切り離された世界のことだとしたら…。

言葉は、人を傷つけることもあるし、嘘もつくし、誤解も生む。
しかし、私たちは言葉を味方にせずに、孤独をやりすごすことができるだろうか。
他者について思いを馳せることができるだろうか。

先日、『砂に咲く花』という本が出版された。
著者は、第2次世界大戦後、満州で活躍していた詩人・古川賢一郎氏。
56年前に書かれ、出版されることが叶わず散逸したと思われていた遺稿がこの度発見されて、出版化された。
古川賢一郎氏は、1954年に少年院「丸亀少女の家」で約1年間にわたり少女たちに詩を教えていた。その経験に基づいて、少女たちの日常を日記文学として描き、少女たちが実際に綴った詩と、転落少女の汚された精神からどのような詩の芽生えがあるか、少女たちの詩を分析・解説する。

ここに出てくる少女たちは、年齢的に16,7才が中心だが、学力は小学卒から中学1,2年程度が多く、しかも強い劣等感と反抗心を持った少女たちに対して、古川賢一郎氏は「草むら中で、独言しているような、深い寂寥感を覚え」ながらも、ものの見方や考え方の自由と、偽らない自己表現を強調し続けた。
そうして、少女たちの間で自発的に詩歌の会が生まれるようになる。

第一部では、ある少女の日記として日常生活がリアルに描かれているので、自分も同じところで生活する少女の視点でハラハラしながら読み進めてしまう。
そして、少女たちが書き綴った詩を読むと、それまでやり場のなかった感情や寂しさ、将来への不安や、日常のささいな喜びなどが飾らない言葉で表現されていて、詩の作品的価値よりも、少女たちが創り出す喜びと共に自己表現に自信をつけたことが大きな成果であったと思う。
奇しくも、令孫の古川耕氏は、賢一郎氏と会うことはなかったが、長年音楽ライターとして日本語ラップのシーンを見てきて、「言葉を手にすること」は社会の底辺でもがく若者たちにとって貴重な武器であり光であり続けている」と、まったく違うルートで同じ地平へ辿り着いていた。

「詩」というと、私は教科書で読んだ現代詩になじめず、自分の生活と地続きのものとは思えなかったし、いまだに「なんだかわからないもの」として興味があるのだが、『砂に咲く花』を読んで一番ハッとしたのは、賢一郎氏が「詩とは何か」というところで、ポエムとポエトリーの区別をし、芸術の根本としてのポエトリーに重点をおき現代詩の指導をしていたということだった。
それから「芸術の根本としてのポエトリー」という言葉に惹かれてしばらく考えていたところ、オクタビオ・パスの『弓と竪琴』のなかで以下の文に出合った。

「ポエジーは認識、救済、力、放棄である。世界を変えうる作用としての詩的行為は、本質的に革命的なものであり、また、精神的運動なるが故に、内的解放の一方法でもある。ポエジーはこの世界を啓示し、さらにもうひとつの世界を創造する。」

「詩的体験は、人間の条件の、つまり、まさにそこに人間の本質的な自由がある、あの絶え間ない自己超越の啓示にほかならない。」

芸術の根本としてのポエトリー(「ポエジー」と同義)とは、外界に対する感情のゆらめき、美の体験、すなわち世界を認識することであり、他者との関係性のなかで自己を捉えることであり、つまりそれは生きることそのものなのだと思う。

音楽も美術も、本質的にはポエジーの根から生まれているのだ。

世界に背を向けてしか生きられなかった少女たちに、世界をまっすぐに見る眼を教えた古川賢一郎氏の偉業。戦後の貧困の最中で、絶望の淵にあっても、決して詩だけは手放すことはしなかった。彼から詩を取り上げることは死を意味する。

詩によって必ずしも「救済」されるというわけではないだろう。しかし、言葉や表現に向かい合うことで、人生をみつめるきっかけになるはずだ。詩を書き続けるという行為が人間の精神的な運動であるならば、古川賢一郎氏の詩の授業は、「生きること」について考え実践する授業だったのではないか。

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砂に咲く花―女子少年院「丸亀少女の家」にて
古川賢一郎 編著
皓星社 2011
1,680円

Flying Books店頭で販売中!

Uehara

2011 年 11 月 12 日 | comment
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メイド ・イン・ USA

United States of America,USA,アメリカ合衆国、米国、アメ公、ヤ ンキー。20世紀一番活躍したのは、やはりこの国にまちがいない。特に日本で生まれて日本に住んでいると全く疑いな くアメ公を信じてしまう。なんかパパって感じだ。アメリカ帝国の政治スタンスを嫌いでどうしようもない人は、世界に50 億人以上確実にいると思うが、文化の面では大好きって人は多いはずだ。だってボブディラン、マイルス・デイ ヴィス、そしてエルヴィス・プレスリーを生んだ国なんだからしょうがない。多民族国家のアメリカは伝統がないぶんスーパーボウルとディズニーでマインドが出来上がってるに違いない。中島らもが「パンクとは一つの精神状態だ」と言ったように、僕は「アメリカ国民とは一つの精神状態だ」と言いたい。 
                                                             imgp8860  

ロバート・フランクはスイス人、ウィリアム・クラインはフランス人、彼等が撮ったアメリカはビジターが発見したアメリカだ。しかし、ニューヨークでユダヤ系ロシア人として生まれたリチャード・アヴェドンはまさしく多民族国家にふさわしい血統だ。2005年に公開されたハリウッド映画『カポーティ』で主役のカポーティ役を演じるフィリップ・シーモア・ホフマンからアヴェドンの名前が口に出されたときは、何故かとても嬉しかった。自分の好きな写真家の名前が映画館のスピーカーから、予期せず聞こえてきて鼓膜を震わせたことに思わず笑みがこぼれた。これだけでも観に行ったかいがあった。         

imgp8877                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

僕のアヴェドン熱は、初めてアヴェドンのドキュメンタリーフィルムを観て衝撃が走った18歳のころからはじまる。その一枚の写真の恍惚感は、他の追随を許さない。8×10で撮られた隅々までピントの合った恐ろしく解像度の高いそのモノクロームの写真は、神を描いたイコンに匹敵する程の荘厳さがある。アヴェドンの写真にはジャン・ジュネ、トルーマン・カポーティ、ヘンリー・ミラー、マルセル・デシャン、ロバート・フランク、マリリン・モンロー、その他大勢20世紀のお偉方の顔で一杯だ。しかし、アヴェドンの写真の中では、スーパースターも、油田で働いているブルーカラーの兄ちゃんも、大統領もみんな恐ろしいくらいに階級の差を感じさせない。企業の広告に一生出ないような肉体労働者の恐ろしく
美しいポートレートは、スーパースターをも出し抜いているし、コンプレックスになるようなソバカスが全身にある少女の皮膚が、観る者の心を動かさずにはいられない。いわいるロラン・バルトが言うプンクトュムだ。(少年の歯並びの悪さはプンクトュムだ。 注意*しかしこの感覚は主観的なものである)

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                                                          アヴェドンの写真集を観ていると、すごくポジティブな感覚になる。このような感覚に襲われる写真家は数人しかいない。オバマ大統領から宇多田ヒカルまで、世界のトップランナーを容赦なくアヴェドンの鷹のような眼が射抜く。それはアヴェドンに奪取されることと同じである。そう写真家とは、モデルの持っている外観を盗み金銭に変えるのが仕事である。しかし、これは幸福な盗みである。アヴェドンのような超一流のカメラマンに自分の土地を綺麗に盗まれるのであれば、本望である。誰も二流の国に攻めて来てほしくはないはずだ。やるなら、さりげなく、気づかないように、しなやかに、なんとなく、宝石を盗んでもらいたい。だまされるなら「立派な詐欺師」にだまされたい。(男性でも女性でも)

最後にどうしても言いたい事がある。アヴェドンの撮ったジュネの写真を見ると、ジュネの着ているアウターはボロボロで、なかに着ているニットらしきものは穴があいている。これを見て僕はすごく感動する。あぁ、やっぱりジュネだ。小説と同じだなとうれしくなり、ジュネ書いた美しい物語を思い出す。
                                                                                                                                             imgp8878              

                

『IN THE AMERICAN WEST』        
Richard Avedon
プラカバー Abrams 1985
¥20,000                      
         

林裕司

2011 年 11 月 4 日 | comment
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ゲーリー・スナイダー×谷川俊太郎 太平洋をつなぐ詩の夕べ

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ゲーリー・スナイダーの再来日が実現となりました。
10月29日土曜日、新宿にて、今回は日本を代表する詩人、谷川俊太郎さんとのポエトリー・リーディングとなります。

uriikaゲーリーさんと谷川さんは1970年代から交流があり、1973年の雑誌ユリイカ特別号『ユリイカ 谷川俊太郎による谷川俊太郎』では、ゲーリーさんの当時の生活とご自宅の様子が紹介されています。
今回は、先日刊行50周年を迎えたゲーリー・スナイダーの第一詩集『Rip rap』の日本版が刊行されることもあり、ゲーリーさんの『Rip rap』からの作品、また、谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』からの作品も交えて、お二人に朗読をしていただく予定です。
数十年ぶりの再会の場、お二人の半世紀を越える詩の歴史、過去から現在への言葉の時間の流れもお伝えできれば幸いです。

Flying Books店頭でも限定数ですが、チケットのお取扱をしております。
SOLD OUT必至のイベントですので、ご希望の方はお早めにお求め下さい!

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ゲーリー・スナイダー&谷川俊太郎 ポエトリー・リーディング
太平洋をつなぐ詩の夕べ
An evening with Gary Snyder & Shuntaro Tanikawa

「亀の島(アメリカ)と弓の島(日本)、太平洋の両岸を代表する二人の詩人、
半世紀を迎えた互いの処女詩集からの作品を交えた、ポエトリー・リーディングとトークの夕べ」

日時 2011年10月29日土曜日 
開場17:00 開演18:00
場所 新宿明治安田生命ホール
〒160-0023 東京都新宿区西新宿1-9-1 明治安田生命新宿ビルB1F
TEL:03-3342-6705 FAX:03-3342-1943
会場地図データ
料金 前売3000円 当日3500円
チケット販売 思潮社ホームページ及び
Flying Books店頭(東京都渋谷区道玄坂1-6-3 渋谷古書センター2F)にて
問:03-3267-8141(思潮社)
イベントホームページ http://www.shichosha.co.jp/garyshuntaro

主催 GSプロジェクト
共催 思潮社, Flying Books
助成 長岡技術科学大学 高橋綾子研究室

2011 年 9 月 26 日 | comment
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