SANRIZUKAからNO NUKESへ
ドン、ドドーン、ドン、再稼働反対。ドン、ドドーン、ドン、再稼働反対。これは、毎週金曜日に首相官邸前で現在行なわれている反原発デモの音である。ちなみにデモとはデモンストレーション[demonstration]の略である。デモンストレーションとは大辞林によれば「威力・勢力・技能などをことさらに示すこと」と出ている。ミュージシャンのデモテープや、企業や個人のプレゼンテーションも、下から上へのデモ行為といって良いだろう。自分の表現やアイデアを認めさせ、他人に金を出させたり、行動させるという点では似たようなものだし、生きていれば少なからず誰でもしていることだ。
2012年6月29日に、僕は首相官邸前のデモを確認しに行った。確認しに行ったと書いたのは、推進派、反対派という意思は無く、デモそのものを見るという目的だったからだ。官邸前デモでは、PCやスマートフォンでリアルタイムに情報を発信している個人から、インディペンデントに活躍するネットメディアや、海外メディアなど沢山の人で埋め尽くされていた。デモを観察し、ある種の興奮を感じたまではライブや映画を見た時とさほど変わらなかったが、次の日に新聞を見た時に愕然とした。分っていたが、昨日あったデモが新聞のどのページを探しても載って無かったことに正直ショックだった。この体験をきっかけに、今まであまり興味がなかった写真集に興味をもった。北井一夫の「三里塚が」それだ。
北井一夫といえばつげ義春と共に、日本のさびれた村などを旅行して、ノスタルジックな写真を撮る人で、昔に社会性のある報道写真を撮っている人物ぐらいの、関心しか無かった。どちらかというと、つげ義春には、かなりはまったことがある。北井の写真は、あの頃の写真の特徴であるハイコントラストのモノクロームの写真である。学生時代に、ウォルフガング・ティルマンスの洗礼を受けた者には世界が違い過ぎるのである。しかし、よく考えてみると三里塚の村の人々の顔や、服装、家などは、つい最近まで日本にあったのだと。高度経済成長のまっただ中の日本で消えて無くなった風景なのだと。北井は、「三里塚」の後も「村へ」や「いつか見た風景」など、この日本の原風景を記録している。つげ義春と北井一夫は、失われた風景を共に日本の村落に求めたのだ。「抵抗」や「三里塚」は、今の世の中に問うべき写真集なんではないかと思う。
これだけ毎日プロアマ問わず写真が撮られている時代は今までに無かったし、今後、ますます増える一方である。真実か疑わしい映像が、ネットでは何処に居ようがすぐに確認できるし、アブグレイブ刑務所とGoogleで画像検索すれば、かの有名な拷問の写真がリビングでマッタリしながら鑑賞できる時代だ。まったく恐ろしい。今まさに情報のカンブリアに突入し、既成メディアの危機である。今やテレビや新聞だけから、まっとうな情報を仕入れる人は、確実に少なくないだろう。我々は嘘だと分っている情報でも、社会的立場によってどうするか判断しなければならない時代になるだろう。ソーシャルメディアは、情報の革命をもたらしライフスタイルを変えたが、今度は超管理しやすい環境も作った。スマートフォンや、タブレットはダイレクトにネットに直結し、目の前の出来事を瞬時に世界に配信出来る。うかつにコンビニや薬局で買い物なんか出来ない。しかもその情報は、すぐに改ざんでき、二次使用可能なのである。杉本博司は、写真の真実性は19世紀と20世紀でしかないと、うそうぶいていたが。そうなると恐ろしい。いやもうすでにphotoshopがあれば何でも出来るのだ。だからこそ、「三里塚」や世界中の「抵抗」の軌跡を忘れてはならない。
村上春樹の卵側に立つとは、こういうことなのか??
追記
何と!そうこうしているうちにニューヨークのHaper’s Booksから、写真家のジョン・ゴセージが編集した北井一夫の未発表写真を含む、写真集「Barricade」が、間もなく発売されるという。この幸福なるシンクロに感謝します。FlyingBooksでも販売予定。
Don’t miss it!!
『三里塚』
北井一夫
函少イタミ 見返し少書込みアリ のら社 1975
¥45,000
『いつか見た風景』
北井一夫
初版 函 蒼穹社 1990
¥25,000
ハヤシユウジ