七転び八起きの写真家
連日大盛り上がりのロンドン・オリンピック!
今日はオリンピック写真集の元祖を紹介します。
1936年、ナチス統治下で開催されたベルリン・オリンピックを撮影した『Schonheit Im Olympischen Kampf』。(こちらは1988年版)
ギリシアのパンテオン、アクロポリス、アフロディテ像などから始まり、古代ギリシアのオリンピアの祭典のイメージ、悠久の古代の時間から、近代オリンピックの様々な競技へと続いていくうちに、スピード感と躍動感に溢れてきます。
鍛え上げられた肉体の美しさ、選手たちの真剣なまなざし 不安な顔、笑顔。
一所懸命にスポーツする人の美しさの奥には、この瞬間を戦い抜くために練習に注いできた膨大な時間があり、その人生を思うと、どの国の選手であっても、勝っても負けても、それぞれに普遍的なドラマがあります。
この写真集には、そんな臨場感あふれる瞬間がたくさんおさめられています。
レニ・リーフェンシュタールは1902年ベルリン生まれ。
舞踏家を経て山岳映画「聖山」(1926)に出演し、女優としてデビュー。1932年に初の監督と主演を務めた映画「青の光」がヴェネチア国際映画祭で銀賞を受賞し、映画監督として歩みを進めます。
ドイツがナチス党政権下に入ると、リーフェンシュタールの才能が高く評価され、1934年にはニュルンベルク党大会の映画を監督するようヒトラーから要請を受けます。彼女は党員でもなく、ナチス・政治に無関心だと断ったのですが、「あなたの人生を6時間だけ私にください」と切望するヒトラーに、この映画以降一切の政治的映画にかかわらないという条件でこれに応じました。こうして170人のスタッフにより、レールやエレベーターを使用し技術的に工夫を凝らして撮影された13万mのフィルムは、5ヶ月の編集期間を経て、「意志の勝利」として完成します。1935年に封切られたこの映画は1937年のパリ国際博覧会で金賞を受賞し、大絶賛を受けました。
しかし戦後、彼女の功績は、ナチスのプロパガンダに手を貸したとして批判にさらされました。
1936年には国際オリンピック委員会のオットー・マイヤーからベルリン・オリンピックの撮影を依頼され、「オリンピア」を完成。ヴェネチア映画祭最高賞を受賞しましたが、これも戦後を境にファシズムをたたえた作品として評価が逆転します。
(フレームがなるべくブレずに撮影できるように作った台車。中央がリーフェンシュタール。)
ドイツ敗戦後、リーフェンシュタールは、アメリカ軍、フランス軍に逮捕されナチス協力者として尋問を受け、約3年間、捕虜としての生活を余儀なくされます。裁判の末、ナチ党協力者ではなかったとの判決を獲得し自由の身となりますが、誹謗中傷は止むことがありませんでした。
その後、アフリカ旅行中事故に遭い、入院した彼女は雑誌に掲載されていた「コルドファンのヌバ」という1枚の写真に出会います。裸の黒人闘士が写された写真は彼女を未知なるアフリカへ駆り立て、1962年にヌバ族と初めての対面を果たして以降、彼女は幾度となくヌバを訪れ、10年にわたり写真を撮り続け、写真集『NUBA』は10カ国で出版されました。しかし、「ヌバの写真はファシズムの映像化」と批判の声もついて回りました。
その後、リーフェンシュタールのテーマは、ヌバから生命の源である海、深海の生物たちへと移っていきます。71歳の時、ダイバーの免許を取った彼女は、90歳を超えても深海の世界を撮り続けました。100歳のお誕生日を迎えたリーフェンシュタールの写真を見て、いくつになっても好奇心と生命力に満ち溢れたチャーミングな方だなぁと思いました。
『Schonheit Im Olympischen Kampf』
Leni Riefenstahl
Mahnert-Lueg Verlag 1988
¥12,000
Uehara