0点の商品が入っています

※本の検索

(タイトル、著者、キーワード等)

ブログ - Words from Flying Books

革命は静かにはじまる

1-1
1945年イギリス生れのアーティスト・活動家のGee Vaucherは、70s〜80sに活躍したアナーキーなパンクバンド「CRASS」のメンバーとしてアートワークを手掛け、作品を通してメッセージを発信してきました。

アナーキズムやパンクと言うと、つい過激なイメージを思い浮かべてしまいますが、Gee Vaucherの作品集を見ると、とてもラディカルに物事をとらえていて、メディアが伝える情報の氾濫をよく見直し、社会の真実を見出そうとしているのがわかります。

終戦直後の混乱の最中に生まれ、表向きには社会は平和に向かったように見えても、核の時代の幕開けでもありました。

Geeは、家は貧しくても、想像力豊かで理解のある両親や隣人に囲まれて過ごしました。子供の頃に、父親がよく子供たちや近所の人におもしろい話を聞かせてくれたそうで、なかでもこんなエピソードがありました。

戦時中に近所に爆弾が落ちて、父親の飼っていたニワトリに爆弾の破片が当たり、父親はあわててニワトリの首をつかんで隣の家の人に叫びました。

父親:「針と脱脂綿を持ってきてくれ!」

隣人:「何色の脱脂綿がいいの?」

Geeにはこのエピソードがなぜかいつも頭の片隅にあり、不条理のなかで希望や笑いを持ち続けることがGeeの人間的な基盤を作ったようです。

1-2 1-3

グヮッシュ、コラージュ、パステルなどで構成された作品には、恐怖や痛みの描写が多く見られます。コラージュによってゆがめられた無気味な顔、仲良さそうな家族のイメージには狂気が感じられます。社会に溢れるイメージをゆがめることで、見慣れた風景に別の視点からリアリティを与えています。Geeは、私たちが「現実」と思い込んでいることに、別の可能性があることを知らせようと、私たちを揺さぶり覚醒させようとします。自分自身の眼で物事を見ることができれば、暗鬱とした社会に血路が開かれると信じて。作品のテーマのおぞましさと、表現の美しさ、そしてその根幹を支える楽観性とのギャップにこの作家の人間の深さを感じられて興味深いです。

1-4

Gee Vaucherの第一作品集となる『Crass Art and Other Pre Post-Modernist Monsters』には、1962年から1997年までの、雑誌や新聞で掲載した作品、「CRASS」のアルバムジャケット、小部数で手渡しで配布したポスターなどが、Geeの文章とともに年代順に収められています。zine cultureの先駆けでもあります。真に社会を見つめて闘ってきたアーティストの作品に触れてください。

『Crass Art and Other Pre Post-Modernist Monsters』
Gee Vaucher
SC 地少汚れ AK Press/Exitstencil Press 1999
¥15,000  SOLD

2

こちらはGee Vaucherの第二作品集。
動物をテーマに、人間の顔をコラージュした作品を40数点収録。
” All humans are animal, but some animals are more human than others.”という序文ではじまるユーモラスでシニカルな作品集。何かもの言いたげな奇妙な動物たちが愛らしく見えてきます。

2-1 2-2

2-3 2-4

『Animal Rites a pictorial study of relationships』
Gee Vaucher
SC Exitstencil Press
¥7,500

Uehara

2012 年 4 月 27 日 | comment
TrackBack URI : http://www.flying-books.com/blog/wp-trackback.php?p=2138

Saul Bass 『Henri’s walk to Paris』入荷!

Saul Bassの『Henri’s walk to Paris』が入荷しました。
今回はとても珍しいカバー付き、しかも真鍋博旧蔵品です。

もともとマニアの間では幻の絵本と言われていて、最近、復刻版が出版されたために特に知名度が上がりましたが、復刻版の初刷も、もう入手が難しくなってきたようです。
ここではせっかくなので、初版と復刻版とを見比べてみましょう。

まず、版型はほぼ同じに見えますが、復刻版のほうが若干大きめで、紙が厚いため厚みも重みもあります。
1
(左が初版、右が復刻版)
 表紙の足のイラストの下、著者名・出版社の書いてある赤い文字は、初版のほうは、文字が地面のようになっており、目線が右へ向かうデザインとなっていますが、復刻版のほうは、文字は中央揃になっていて、目線の誘導が止まってしまっています。(奥付ページも同じく) 
o26 r24

次のページは、一面に文字が敷き詰められていて、初版は文字がきれいにおさまっているのですが、復刻版は上下がトリミングされて文字が切れてしまっています。
o r

o-11 r-11
(左が初版、右が復刻版)

そして、絵本にとっては致命的と言っていいほど色味が全然違います。
初版では、隅々まで行き届いたデザインセンスとヴィヴィッドな色に目を奪われて、すべてのページを額に入れて飾りたいと思ったほどでした。
復刻版のほうはちょっと濃い目なのかな、くらいに思って見ていきましたが、全体的に色彩のトーンが暗く、色調の差が少ないのです。

(左が初版、右が復刻版)
o31 r3
たとえば、初版では森の中の家の白さが木々のコントラストで浮き上がって見えるところが、復刻版では全体的にうすぼんやりとして見えたり、目がチカチカするほど鮮やかな赤とピンクのバスが、そこまで刺激的ではなかったり、木々と道路の絵ではグリーンの色あいが全然違っていたり、青の3色のトーンは小鳥の黄色と周りに見える表紙の黄色と呼応しているのが、復刻版は3色の差があまりなく、小鳥の色と表紙の色もちぐはぐだったりして効果的ではありません。画像ではわかりづらいかと思いますが、実際に並べてみると全然違います。

o42 r43

o5 r5

o6 r61 

復刻にあたって、元版になるべく近づけるよう印刷するのは、ここを生かせば、どこかを妥協しなければならないといった大変な作業だったにちがいありません。初版のクオリティーを復刻版に求めるのは限界があるでしょう。
この絵本は、パリを目指してHenri君がワクワクしながら歩いていく冒険のお話なのですが、復刻版を見てからあらためて初版を見ると、絵とお話の相乗効果が本当に素晴しいのです。

初版には、最初に生み出すときの、作家・デザイナー・版元の三者がひとつになった魂のようなものが込められていたのではないかと感じます。

幻の絵本で入手困難だったものが、安価で多くの人に見てもらえるのは、復刻版ならではと言えますが、ちょっとした違いで全体の印象がこんなに変わってしまうことがわかりました。なかなか出合えないですが、Saul Bassの、緻密でありながらのびのびとした世界観は、ぜひとも貴重なオリジナル版で味わっていただきたいと思います。

『Henri’s walk to Paris』
Saul Bass(デザイン) Leonore Klein(文)
初版 カバー裏表紙少切れ 真鍋博旧蔵シール
Young Scott Books 1962年
¥95,000

2012 年 4 月 13 日 | comment
TrackBack URI : http://www.flying-books.com/blog/wp-trackback.php?p=2053

幸福感の爆発、あるいは炸裂

ウィリアム・S・バロウズ卿が、思潮社の『バロウズブック』でこう言っている。「もし、書き方さえわっかたら、読んだら相手が死んでしまうようなものを書きたい。音楽でも、なんでも同じだー知識か、技術が充分ならできるはずだ」「革命は、他人を無視することから始まる」そう、人間でも象でも相手の息の根を一撃で止めるぐらいの力が無いと駄目だ。他人は無視しろ、恐怖は自分自身で作り出したモノだ。

21世紀に入り写真界でその可能性を感じさせたのは、ライアン・マッギンレイただ一人だけだ。ティーネージャーの裸の写真を一枚見ただけで、その事実が分った。みんなベッヒャースクールの亜流か、気の利いた都市や自然のランドスケープでお茶を濁していたが、正直退屈だった。特に日本の写真界は相も変わらず似たような作品の再生産にしか感じられず、爆発力は無かった。バロウズやジュネ、ゴダールやジョン・ウォーターズらの作品のように、批評の暇すら与えない炸裂した作品が見たい。もうホリエモンや、ひろゆきにカメラを渡して、資金力にまかせて撮ってもらったほうが、遥かにエキサイティングかもしれない。作者なんて誰でもいいんだ、ウォーホルのFactoryでは誰が何の持ち場なんて関係無かったはずだ、ウォーホルがそこに居ればいいんだから、ハッキリ言ってFactoryはホントスゴイね!!

imgp10321 imgp10341

世紀末から新世紀をまたいで、写真界は間違いなくウォルフガング・ティルマンズの時代だった。しかし、何処からか新しいスターは突然やってくる。それは一つの技術を機械的にマスターした画家志望や小説家志望、写真家志望etc…の人物からは難しい。バロウズはジャンキーで小説家、中原昌也はミュージシャンで小説家、エディ・スリマンはファッションデザイナーで写真家、港千尋は評論家で写真家、そしてライアン・マッギンレイはスケーターで写真家だ。

ライアン・マッギンレイは、1977年ニュージャージー州で8人兄弟の末っ子に生まれた。生まれたのが一番下ということもあって、両親も子供の写真を撮ることに飽きたらしく、ライアンの子供の頃の写真は5枚くらいしかないらしい。10代は「スケート・パンク」でジャンキーだったり、全身ラルフローレンしか着ない「ポロ・レイヴァー」になったりで素晴らしい経歴だ。なんと!!その頃の輝かしい栄光の時間も、写真はほとんど皆無。そしてニューヨークにあるパーソンズ美術大学に入り写真に目覚める。ざっとこんな感じだ。ライアンは、まるで人が常に自分に無い物を渇望するように、過去の自分の写真が無い事実をカバーするがごとく写真を撮りだす。ライアンの欲望は強烈で一気に写真界のスターダムに躍り出た。そうなんだ、人は過去の失われてしまう時を、常にねつ造の危機をともなう記憶(自分または、他人に)か、写真や映像というわずかな媒体のメモリーでしか捕らえることが今のところ出来ない。それゆえに負けるのが分っていても世界の断片を記録し続けるのだ。(なんという、いじらしい行為!!)

imgp1046

ライアンの写真は、若い男女が都会でいたずらしたり、裸で自然のまっただ中に放り出されて無邪気な自分の欲望にしたがって動き回る記録である。モデルになっている男女のイキイキした表情やユニークなポーズは幸福感の爆発を誘う。飛んだり跳ねたり、花火で遊んだり、みんなで裸で木に登ったり、ヤンチャのし放題だ。みんな広告のモデルみたいに美しい体をしている理由ではないが、個性的でチャーミングだ。ライアンの写真では、モデルのウィークポイント(コンプレックス)はスティグマへと一気にひっくり返る。当然だ、染みや、ホクロ、あるいは傷は、自分が自分であるための、表面的な他人とは違う徴だ。 気にするな!!ライアンの「Moonmilk」シリーズでは、洞窟をカラフルな光でライトアップし、サイケデリックで神秘的な写真を作り上げ、ライアンの卓越したセンスを本物だと僕に確信させた。続いてモノクロで撮られたポートレートでは、モデルと剥製を交えて、ファッショナブルでユーモラスな写真を発表し、とどまることを知らない。ライアン・マッギンレイのこれからの動向はチェックし続けなければならないが、才能が枯れる前に。いや、保守的になる前にぜひ一本映画を撮ってほしい。

imgp1042 imgp1043

ライアン・マッギンレイのように、そのシーンを一撃で変えてしまう存在は稀だ。どんな世界でもそのような人物は必要だ。サッカー選手でも、タコヤキ屋でも、占い師でもそうだ。あのジョン・ウォーターズの「ピンク・フラミンゴ」を観てアンディ・ウォーホルはこう言った。「僕が映画ですることは、もう無くなった」と。ウォーターズいわく「セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ」公開のため来日した時に、映画監督志望の若い青年にこう助言している。「上にいる奴らを、イラつかせる映画を作れ。そうすれば成功する。」そうだ、上に居座ってあぐらをかいている奴らの足を掬ってやれ!!

imgp1056
『Everybody Knows This is Nowhere』
Ryan Mcginley ライアン・マッギンレー
Dashwood Books 2010
¥18,000

林 裕司

2012 年 4 月 6 日 | comment
TrackBack URI : http://www.flying-books.com/blog/wp-trackback.php?p=2018