「Beauty is but skin- deep」―美しいも皮一重
スタンリー・キューブリック監督の映画「シャイニング」を、観た事がある人なら二人の双子の少女の幽霊が出てくるをシーンを覚えている人は多いだろう。この場面の原型になったのが、世界で一番有名な双子の写真を撮ったアメリカが生んだ怪物写真家、ダイアン・アーバスである。怪物とは言っても容姿端麗で裕福なユダヤ系の家庭に生まれたお嬢様だ。アメリカが、最も異常で魅力的だった60年代。カウンター・カルチャー全盛の時代、ティモシー・リアリーがドラッグ・ピープルの神として君臨し、ヒッピー達のメッカ、ヘイト・アシュベリーが無法地帯のサイケデリック都市国家として幅を利かせ、ドラック体験を見事に小説にした神秘主義SF作家フィリップ・K・ディックや、キリストのような顔をした悪漢のカリスマ、チャールズ・マンソンがいた。
どいつもこいつも一癖も二癖もありそうな奴らである。この激動の60年代を、カメラという武器を持って果敢に体当たりで挑んで、最後には自ら自爆(自殺)したのが、ダイアン・アーバスである。
当時写真集の出版などはほとんど無く、写真家達の活動の場はジャーナリズムの世界が表現の場だった。アーバスの写真が初めて載ったのが「エスクァイア」の60年7月号、ニューヨーク特集である。フリークス・ショーの男、身元不明の死体、社交界の花形女性、小人の俳優。どの人達も立派なニューヨーカーである。最初の雑誌掲載で彼女の特別な志向がすでに垣間見れる。
初の雑誌掲載を皮切りにアーバスは、「ハーパス・バザー」「ニューヨーク」「ショー」「ニューヨーク・タイムズ」「ホリデイ」「サタデー・イブニング・ポスト」さらにロンドンでも「サンデー・タイムズ・マガジン」「ノヴァ」といった複数の媒体で写真を発表する。全ての写真が、彼女のストレートな曇りの無い目で射られたポートレイトや人工物は、アメリカが大事に育ててきた価値観など意にも介さない。
同じ「エスクァイア」で活躍していた、アメリカの文豪ノーマン・メイラーは「ダイアンにカメラを渡すことは、子供に手榴弾を渡すようなものだ」と自ら彼女のモデルにもなった体験からそう語っている。見たものを石に変えるメデューサばりに、アーバスに掛かれば普通の人や、張りぼての建物さえ荘厳な美しさを見せる。
特に印象に残っているのが冒頭であげた双子の女の子の写真だが、その他に彼女が自分自身の妊娠した姿を撮影した有名なセルフポートレイトがある。この妊娠状態のいわば普通では無い状態の写真に彼女の志向の全てがある。
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林 裕司