ブログ - Words from Flying Books
Louise Bourgeoisは、1911年パリに生まれ、1938年に渡米、第二次世界大戦後、身体の彫刻とインスタレーションの創作に取り組んできました。
彫刻家として50年以上のキャリアを持ち、その革新的な作風はアメリカのアーティストに影響を与えてきましたが、Louise Bourgeoisのプリントはほとんど出版されておらず、今回紹介します『The Prints of Louise Bourgeois』は、1938年から1993年までの作品を制作過程とともに包括的に見ることができるはじめての作品集です。
長い間、Louise Bourgeoisの研究を続けてきたWye Smithがキュレーターとなり、Louise Bourgeoisが、今まで制作してきた作品とこれから作るものをすべてMOMAに寄贈したおかげで、1982年にMOMAで回顧展が開かれました。
その後、1993年にヴェネチア・ビエンナーレで大々的に名前が知られるようになり、日本でも、六本木ヒルズで巨大な蜘蛛の彫刻を見ることができます。
この作品集では、Louise Bourgeois自身が作品に対して一つひとつコメントをつけています。あるモチーフが浮かび上がると、そこからLouise Bourgeoisの記憶や感情によって、そのモチーフは変化を遂げていき、そこにはLouise Bourgeoisの個人的な象徴が表れてきます。コメントは決して説明的ではなく、絵を動きの中でとらえようとするときに、より深い洞察を与えてくれます。
プリントを見ると、彼女が彫刻家であることがよくわかります。一つの形は、時間とともに変化し、記憶や感情を肉付けされていくようです。物体としての彫刻ではなく、自身の内面を掘り下げていく作業が形となり、その段階ごとに紙に定着させているような感じを受けます。
作家個人の日常的な事柄や、子どもの頃の記憶など、とてもパーソナルなことをモチーフに創作しているコンテンポラリーアートを近年よく見かけますが、1930年代から創り続けてきたLouise Bourgeoisは、かなり革新的な作家だったのではないかと思います。
『The Prints of Louise Bourgeois』
Wye Smith 編
初版 The Museum of Modern Art 1994
図版405点(内カラー76点)
¥18,900
uehara
占領下の影響、交通事故、物価高、ベトナム戦争、学生闘争、奈良原一光・森山大道・中平卓馬など同時代の写真家たちとの交流など、フットワーク軽く日々を切り取る。
この時代を生きて目にしたもの、街を見下ろすその眼に映ったもの―
怒り、悲哀、平和への希求……
高度経済成長下の1960年代の日本と日本人のおかれた状況を東松照明はどう見ていたのだろうか。ページをめくるごとに、東松照明の問題意識に引きずり込まれる。
写真は被写体そのものを写し出すが、写されたものが真実かどうかはまた別の問題だ。東松照明に会ったことはないが、写真を見るだけで信頼できる男だと思う。その一方で、彼のデザインセンスあふれる幻影的な写真を見るとき、そこに写っているものが何であるか考えるよりも、ただ美しいと思う。そうして私は、彼の写真を信頼して、それ以上のことを見ようとしていないのではないか、と気付いた途端に、これらはおそろしい写真集に
思えてくる。東松照明の写真は、一見穏やかな雰囲気に包まれているように見えるが、私たちに「見る」ことを怠らないようにと叫んでいるような気がしてならない。
『I am a king』
初版 函ヤケ 写真評論社 1972
¥48,000
『東松照明写真集1<11時02分>NAGASAKI』
初版 背少イタミ 函欠 写真同人社 1966 ¥58,000
1945年8月9日11時02分で停止した時と、そこから現在進行形で動いている時間。
その二つの時を写し出している写真集。
『日本』
初版 ビニカバ欠 見返しテープ跡 写研 1967 ¥126,000
1955年〜1967まで12年間にわたって撮影した「日本」の記録。「吹きだまり」、「恐山」、「アスファルト」、「風景」、「せともののまち」、「おりもののまち」、「ghost town」、「チンドン」、「家」、「占領」 からなる構成。
『サラーム・アレイコム』
初版 ビニカバ 写研 1968 ¥38,000
アフガニスタンの大地と人々の暮らしをとらえた写真集
『戦後派 映像の現代5』
初版 帯 ビニカバ欠 中央公論社 1971
1951年〜1960年までの10年間、東京と名古屋を中心に撮影した5冊目の写真集。
Uehara
蒸し暑いわ、なんかブファーとした鳴り物の音が巷に響いているわで、本なんぞ読んでられないとなるのも当然な今日この頃、そんなことにくじけることなどなく、薄暗く湿っぽいところでごそごそと埃にまみれることがあっても厭うことなく、書物と日々交流しつづけるみなさんこんにちは。芝生のうえの蝶とはまたべつの輝きを紙魚はもっているのです。
さて、そんな本の虫のかたがたであっても、なにかを調べようというときに事典を使うということは稀になってしまったのではないでしょうか。ボタンいくつか押せば事足りるこのご時世に、なにしろ手間がかかります。
また大抵かさばり凶器になりうるほど重くて、空間と時間を浪費する、効率優先のむきにはもはやなんとも不合理な存在となりはて、ご家庭に十数巻のセットで配置されていたという伝説の百科事典などは、タスマニア・タイガーかドードーかリョコウバトかニホンオオカミかといった絶滅ぶり。
しかし、辞書を引いていた頃、目的ではないことばをつい読んでしまったように、あてもないぶらぶら歩きで面白げなお店を見つけるように、偶然と必然の間で遊んでみるには、事典はなかなか。捨てたものではありません。
ちょっと専門が限られている方がいいかもしれません。あまりに項目が広範囲では目眩がしますよね(「目まいのする散歩」と云う本はありますけど)。自分にはあまり関係がなく、すぐに役立ちそうもない事柄を知って、そのことについてあれこれ思いをめぐらせてみるというのは愉しいものです。
ではここでそんな愉しみの友となれるかもしれない事典をご紹介します。
『カラー版 世界宗教事典』
様々な宗教に関する用語がカラーも含む豊富な図版とともに解説されています。本書の素晴しいところは、五十音順であるところです。つまり三大宗教とその各派は勿論、ヒンドゥー、ゾロアスター、神道、ジャイナ教、ラスタファリー、ホアホア教などについてのことばが同じページの上で隣合っているわけです。異なる考えが並列してお互いの理解へ導く。ユートピア(このことばもあります)的な眺めです。
ハラールを引いたら、パラダイスとばらもんとパールヴァティーとハラハーも目に入って来てしまいます。とくに探してはいなかったけれど、バル・ミツヴァはよくバー・ミツヴァーと云う表記でユダヤ系作家の翻訳小説に出てくるなあ、おぼろげな意味しか知らなかった。と、たまには不本意ながら直接役に立ってしまったり。
復古カトリックの儀式の写真の隣の頁には鎌倉の大仏。ヒンドゥーの聖紐祭の向かいにアボリジニーの人々。
『月面クレーター 宇宙人名事典』
何の事典かと思いますよね。宇宙人・名事典、とか宇宙人名・事典とつい読んでしまいます。ところがこれ、月のクレーターにその名を付けられた人々の事典なのです。そもそもクレーターに人名が付いてることすら知らず満月を眺めてきたわけですが、まず1651年にリチオリという人が月面地図を作って、古代ギリシャから当時までの天文学者、数学者、哲学者の名を付けた―あ、この人ちゃっかり自分の名前も付けてた!―ことから始まり、20世紀に人工衛星により月の裏側の撮影に成功したことから、1970年「世界の天文学者達は一同に会し」当時故人となっている偉大な科学者たちの名前を月の裏のクレーターに付けた、と。
月面地図も載っているのでどこに誰の名が付いているかも分かります。
他に月ロケット、有人宇宙ロケット、宇宙飛行士の各一覧、宇宙条約なども付されていて、この事典の出版された1972年当時の宇宙への夢を感じさせます。またこの頃のことです、事典を編むために国会図書館の資料を基におびただしいカードや文献を制作、整理したと監修者が書いています。全部人力ですよ!タイプライターは使ったでしょうけれど。
なんだ今なら簡単なのになあ、とはとても思えません。
人類の営みとは…とそれこそ宇宙的な思いへと連れて行かれそうです。
『カラー版 世界宗教事典』
リチャード・ケネディ原著 教文館 1991年 ¥5,770
『月面クレーター 宇宙人名事典』
竹内均監修 林文献社 1972年 ¥6,500
Tanaka
目黒シネマでジム・ジャームッシュ監督の「リミッツ・オブ・コントロール」を観た。映画はジャームッシュ節とも言うべき内容で、心地よく鳴り響く日本のヘヴィメタルバンドBORISの曲に乗せて淡々と進む映像に体を浸しながら、睡魔との戦いにも完勝した。(二本立てなので眠い)オープニングとエンディング共にイイナと思った。あと音楽も悪く無いという印象だった。最近は映画の始まりと終わり、そして音楽に重点を置いて映画を見ている自分に気づく。(決して内容が悪い訳でもない)出演者は豪華でティルダ・スウィントン、ビル・マーレイ、工藤夕貴、ガエル・ガルシア・ベルナル。特にティルダ・スウィントン演じるブロンドの持っている傘がビニール傘だったのには笑った。前から思っていたのだが、映画に出演しているビル・マーレイはイギリス出身の写真家マーティン・パーに似ている。そんな事でマーティン・パーの事を書く事にした。
ちまたではライアン・マッギンリーが、アメリカ写真界の最後のプリンスとしてメディアへの露出が激しいが、世界的に見てストレートな写真表現は、減少傾向にある中、マーティン・パーは欧米では珍しく、コミカルなスナップ写真を作品にしている一人である。コンセプチュアルじゃない作品に、あまり食欲を感じなくなってきた僕にも、マーティン・パーの写真には、すごく食欲をそそられるし、写真集も欲しいと思う。なんでなんだろうと自分に問いかけてみても良い回答が得られない。「自分の所属していない欧米の風景だからだろうか?」「アメリカの映画が子供の頃好きだったからか?」「毎日のようにコカ・コーラを飲んでいるからか?」…………いや、彼はイギリス出身だ。
僕の個人的な趣味や嗜好はともかく、マーティン・パーの写真は、欧米の子供が食べている毛虫みたいなグミや、カラフルなキャンディやチョコレート、僕には理解出来ない派手な色の組み合わせのヌイグルミの持っているブキミ・カワイイ感じがタマラナイ。彼の写真の中では、社会的なヒエラルキーは関係なく、老人、ビジネスマン、若者、主婦、赤ちゃん、いや街のゴミまでも、何か愛くるしくポップで、愛情を感じずにはいられない。特に彼の写真の魅力は、カメラが本来持っている偶然と発見の魅力が、最大限に発揮されている点なので、国境なんか軽く超えてしまえる程の強いインパクトを持っている。マーティン・パーが、エグルストンばりの濃厚な色の写真で、スーパーマーケットの主婦達の格闘シーンや、ホームパーティーの微妙な風景や、本当に心地よいのか?と思わせるゴミだらけのビーチで寝そべっている様子を、彼のちょっとイジワルで愛情ある視線で捕らえる日常の断片は、まるでリアルなモンティ・パイソンの世界だ!
そんな事はさて置き、マーティン・パーが、みんなが大好きな映画「ゴースト・バスターズ」のビル・マーレイ役に扮してハイパーキッチュな作品を作ってくれたら最高じゃないかな?ミシェル・ゴンドリーの映画みたいなユーモアとウィットに飛んだやつをぜひ!彼の映画のファンなら分るよね。
林 裕司
『HOME AND ABROAD』
MARTIN PARR
初版 SC JONATHAN CAPE 1993
¥28,000
Flying Booksともゆかりの深いフォトグラファーの渋谷ゆりさんの初のフォトエッセイ集「Under Exposure Journal」が発売されました!
舞台はNY、アフリカ、インド・ネパール、キューバ、ジャマイカ、etc。ゆりさんならではの旅の視点を味わうことができます。
これまでゆりさんが作ったZINEを見ていて、なぜ外国人が地元の人のこんなにも人間味に満ちたやさしい表情を捉えることができるのだろう、と疑問に思ってましたが、この本にその答えがありました。
旅に出たい人、旅に出る時間がないけど気分を味わいたい人、いつもと違った視点で世界を見たい人、そんな人たちにおすすめです。
また急な告知ですみませんが、4.17土曜日の14時から六本木ヒルズけやき坂下にあるTSUTAYA TOKYO ROPPONGIにて、渋谷ゆりさんと旧知の写真家・映像作家の若木信吾さんが対談をすることになり、その司会をFlying Booksの山路が務めさせて頂くことになりました。
旅や、雑誌・ZINE作りという共通点の多い二人は学生時代からの知り合いだとか。対談では紙面には盛り込めなかったエピソードをたっぷりと聞きだしたいと思います。お時間があれば是非遊びにいらしてください。入場無料です!
(先着50名でご購入の方に、本人がシルクスクリーン印刷したオリジナルエコバックがもらえるそうです!)
秋風の ヴィオロンの 節がなき啜り泣き もの憂きかなしみに わがこころ傷つくる。 時の鐘鳴りも出づれば、 せつなくも胸せまり、 思いぞ出づる来し方に涙は湧く。 落葉ならぬ身をばやるわれも、 かなたこなた吹きまくれ 逆風よ
(ヴェルレーヌ「秋の歌」 堀口大學訳)
この胸に迫るヴェルレーヌの詩を、ぼくはブラッサイが撮った夜のパリの写真を見ると思い出す。19世紀後半から20世紀前半のパリに憧れるロマンチストな人にぜひ見て欲しい写真だ。天才詩人ランボーとヴェルレーヌがパリの街を練り歩き、カフェでアブサン酒を飲んで大立ち回りを演じ男色に耽り詩を書く。そんな19世紀の面影を残したパリの街頭やカフェの写真は、生まれた時から電気の洗礼を受け続けている我々に、ロウソクのやさしい光を見ている気持ちにさせてくれる。パリが世界の文化の中心だった時代の光の記録である。ブラッサイは、ヘンリー・ミラー等とつるんで夜のパリの街を徘徊し、有名人や娼婦、そして恋人達を撮り続けた。ミラーの『北回帰線』を読んだことがある人なら、小説の雰囲気をよりリアルにブラッサイの写真から感じられるに違いない。華やなパリには数えきれない程の有名人達が時を同じくして活動し、才能をぶつけ合ってそして生きた。ホモ・ルーデンス達のカフェでの立ち振る舞いや会話をハイビジョンの映像でモニター出来ればさぞかし楽しいに決まってる。もしボヘミアンな生活を20世紀前半のパリで体験出来るなら、僕はマジで死んでもイイゼ!
しかし現在、タイムマシーンが映画や小説の中でしか出てきていない事実をしっかりと心に受け止めて、ブラッサイの写真や、エコール・ド・パリにオマージュを捧げた作品などで僕は我慢する。特にジャック・ベッケルの『モンパルナスの灯』を何度も何度も繰り返し見る事にしよう。ちなみにこの映画のモディリアーニ像は最高だ!ブラッサイの写真は賑やかなカフェの写真とは裏腹に、孤独なヨーロッパの舗装された石畳が特に印象的だ。暖かいカフェを一歩出れば嫌がおうでも認識させられる圧倒的な存在感を示すこの石の固まりに、もう一つのパリの顔が見える。裏のパリの顔は、泥棒で小説家の男、フランスが生んだ世界をひっくり返した墜天使、聖ジュネの小説の世界に美しい物語として読む事が出来る。
パリからニューヨークに時代がシフトして、そして現在はTOKYOが世界の中心になるべきだと僕は妄信し続けているが、今だ答えは未知数だ。世界中の野心溢れた一攫千金を目指す男女はTOKYOでしなやかにその美しい細胞を燃焼させろ。
BRASSAI
PARIS DE NUIT
初版 AMG 1987
¥14,700
林 裕司
急に春めいてうららかな今日この頃。生きるとはなんぞやなどと云う考えは到底浮かんでくるはずもありません。しかしながら人間いずれは死が訪れるわけですし、生きてたら生きてたで厄介なこともあまためぐってくるわけで、いつなんどき「うわーなんか苦しいよー。生きるってなんなのおお!」といった事態になるやも知れません
人間はうっかりするとそうなりがち。そこをなんとかしてやってくための伝統的な技法のひとつが仏教であり、禅なのですが、もはや生活のすぐそばにあってじぶんの心身に染みているという実感は少ない人が多いのではないでしょうか。
そうなるとわれわれにとっての禅・仏教は、言語や文化の異なる人々にとってのそれと、さほどちがいはないのかも知れません。
江戸時代の禅僧、仙厓の書画の個々に解説のつけられたこの本はアメリカで禅を広めた鈴木大拙がその晩年の仕事として英語で著し、海外で出版されたものの日本語訳版と云う逆輸入のような成り立ちをしています
書や賛の文字を読み取ることもあやしく、古文や漢文の教養もなくて意味をとることのおぼつかないわれわれには、大拙が英訳した仙厓の詩句、および解説の日本語訳というのは楽して禅画を知り、楽しむことができるたいへん魅力的なものとなっています。
仙厓の画とことばはこれはもう、じっさい目にしていただくしかないでしょう。ヘタウマみたいですけど、この人ものすごくうまいです(あたりまえですが)。なにやら見る者のどこかにひびくものがあります。同時代の人々もやはり同じで、仙厓は画いてくれ、画いてくれ、さんざん言われたそうです。
この動物をちょっと見てください。ちなみに左側には「きゃんきゃん」と書いてあります。解説を読むとまたおもしろいですよ。
仙厓の書画
鈴木大拙 月村麗子訳
初版 カバー 帯
岩波書店 平16
¥7,800
Tanaka
ヘルムート・バーガー、ヘルムート・ラング、ヘルムート・ニュートン。ぼくも、ヘルムートなにがしと言う名前に生まれたかった。決して西洋人に生まれたかったというのではなく、ヘルムートという名前の響きが素敵だからだ。20世紀を代表するファッション写真家ヘルムート・ニュートンの写真を見た事の無い人は、少ないだろう。ニュートンの写真に限らず20世紀の広告やファッション写真は自分では気づかずに街や、雑誌の中に至る所に紛れ込んでいて知らぬ間に大衆の脳髄を勝手に刺激する。我々の頭はいわゆる国や企業の広告で作られたようなものだ。『VOGUE』などの魅力的な高級人種向けの雑誌のページをめくるだけで人々は、恍惚感に震え灰色の日常に少しの(他人がこしらえた)夢を見る。
ヘルムート・ニュートンの写真の魅力はなんと言っても体格の良いモデル達だ。ニュートンの選ぶ女性はみんな背が高くて肩幅の広い戦闘能力の高そうな女神達だ。彼女らの大理石のような肌にコルセットやギブスを身につけたヌードの写真は攻撃的ですらあり、ヴォーグのマドンナばりに刺激的だ。まるで映画ブレード・ランナーに出てくるレプリカントなみの冷たい美を備えたスーパーモデル達がレンズの向こうで我々を見下す。そんな氷の女達を支配するニュートンは「私は魂に興味が無い」と言っていたように女の体とその肉体を際立たせるハイヒールやストッキング、宝石といった記号を散りばめてフェティシズムの極地へと連れて行ってくれる。モデルの肉体は部分へと解体され物そのものになる。
半神のようなニュートンのモデル達は、写真の中でキメラのように物と融合し新しい肉体を手に入れる。機械や物との融合の願望は、ガソリンを口に含んで唾液と混合して火をつけたり、口に含んだガソリンを精液としてバイクの燃料タンクに注ぎ込むアメリカのイカした秘教的バイクグループ、ヘルズ・エンジェルスのマシーンとの一体化を思い出す。機械との融合のビジョンは多くの人がネットという広大な世界を手に入れた21世紀の今こそ多く語られるべきだ。
ニュートンの神々しい写真を見る時、女神への憧れにも似た感情が沸々と沸き上がってくる。女神達と出会い融合したいと。しかし現実には我々は映画や写真で我慢しなければならない。せめてひと時だけでも現実を忘れさせてくれるニュートンの作品は、一般の人々の手が届かないような遊びが体験でき、この世の春を謳歌した平家一族や世界の金融を握るロスチャイルド家のような大金持ちに生まれ無くとも、このムカツク程変わらない繰り返しの日常ですれきった我々の心を癒してくれる。
今回紹介するアントワープの演出家ヤン・ファーブルとのコラボレーションの写真集は、甲冑を身につけた生きた女神達を美しいモノクロームで捕らえた写真に出会える。必見である。
林 裕司
『Das Glas im Kopf wird vom Glas,the Dance sections』
Helmut Newton(ヘルムート・ニュートン), Jan Fabre(ヤン・ファーブル)
限定2000部
Imschoot, Uitgevers, Gent, Belgium 1990
¥12,600
アール・ヌーヴォーといえば流麗にして華麗、溢れんばかりの装飾と云うイメージで、日本では人気が高く、展覧会もしばしば行われています。しかし人気があるがゆえにミュシャとガレでおなかいっぱい。過剰な装飾は美しいけれど消化不良を招きそうで、すっきりしたものや素材を活かしたものの方がいいなあと食わず嫌い。
じっさい表面的にではなく、その本質や全貌を知ろうとしても19世紀末から20世紀初めにあふれたこの波は、ヨーロッパ全域を覆い(はてはアメリカ、日本にまで余波を)、その分野は絵画、グラフィック・デザイン、建築に家具調度、宝飾デザインと幅広く作家も関連書籍も数多…一口に飲み込むのは到底不可能。
しかしこの本なら口当たりよくいただけます。滋養もたっぷり。
各国別に並べられた絵はがきをつぎつぎページを繰って見ていると、国や作家の個性が顕れており、これもアール・ヌーヴォー?ぐりぐりと渦巻く線がないなあ、スイスやドイツは線が固いけどがんばってる、国威発揚に農村?相性悪そうなモチーフもある、イタリアは案外ゴシック好み…などとキリなく楽しいのですが、共通の雰囲気というものもなんとはなしに分かってきます。
たとえば民族的な衣装や神話モチーフ。画面をそのまま二次元的に捉え、その画面上で余白や過多な装飾と人物などの主題モチーフを同等に扱い、形象や色面の配置を重視した構成(発想の源泉のひとつにはジャポニスムがあるというのもよくわかります)。
絵はがきというかたちがポスターとともにこのアール・ヌーヴォーというスタイルを広く伝えることに役立ちました。アーティストたちはこれを意識的に用いたらしく、自分たちの視覚芸術運動をタブローよりずっと軽々と遠くまで届けるメディアを使う方法は、未来派やダダ、シュルレアリスムにさきがけることとなったのでした。
『アール・ヌーヴォーの絵はがき』
ジョヴァンニ・ファネッリ エツィオ・ゴードリ
初版 カバー 同朋社出版 平5
¥9,500
Tanaka
最近、ちゃんとごはん食べていますか?
忙しくて、コンビニのお弁当やサプリメントなどでも、何かお腹に入れられればマシといった感じでしょうか?
味気ないものに慣れてしまった舌で、たまに畑から採れたてのニンジンなど食べると、びっくりするほど味が濃くて本当は独特のクセがあったりすることを思い出します。
便利だけど何でも均一化されたものに疲れてしまったら、こんな古書で鋭気を養ってみましょう!
まずは、『THE BACHELOR’S BAR COMPANION』(独身男性のためのバーの手引書)。250種類以上のカクテルのレシピが、グラマーな女性のヌード写真と織り交ぜて紹介されており、この一冊を持っていれば、あなたもBACHELORとしての株を上げること間違いなしです。実践に使うかどうかは別としても、この本、モンティ・パイソンを思わせるようなコラージュが見出しに使われていたり、ヌード写真もエロいというよりデザイン的に洗練されていて、とてもカッコいいのです!また、オスカー・ワイルドやバイロンなどの名言がところどころに散りばめられているのも、BACHELORらしいですね。いくつになっても、恋をしていたいという素敵な男性に。
お次は、こちらも一見オシャレな『Bridget’s Organic Cookbook』。
しかし、オーガニックな食生活とは裏腹なこの身体。いや、だからこそオーガニックに目覚めたのでしょうか。なぜか全編ほぼヌードではありますが、色気とかそんなことは超えてしまって、すごく楽しそうに、ときに真剣に、料理をしている(コスプレ?)写真の数々を見ていると、なんだか幸せな気持ちになってきます。どのページを開いても、とにかく笑わせてくれるチャーミングなブリジットさんに釘付け!
最後に、こんな料理本もあります。
『EAT IT ― A COOKBOOK by Dana Crumb & Shery Cohen』
クラム元妻の手による料理本。全編に渡ってクラムのほほえましいイラストが添えられています。ただし、イラストを見るかぎり、どうも料理がおいしそうには見えないところがクラムらしいというか……。
さて、標題の件ですが、ある人と一緒にごはんを食べて、心からおいしいと思えるかどうかで、好きになるか、なれないかがわかると私は思います。食べるという行為はエロティックですが、今回紹介した本はヌードが多いわりにエロくなくてすみません。
1.『THE BACHELOR’S BAR COMPANION』
A GUIDE FOR UNSUBTLE SEDUCERS
LEON PUBLISHING CAMPANY 1972年
¥14,700
2.『Bridget’s Organic Cookbook』
― A Barefacts Guide to Health Food
American Publishing Corporation 1973年
¥5,800
3.『EAT IT ― A COOKBOOK by Dana Crumb & Shery Cohen』
初版 SC Bellerophon Books 1972年
¥11,800
Uehara